vol.36

発声練習、前回もだったけど、少しバリエーションが多く時間をかけている。
自宅練習では、ネットで見た声楽家の
「ウォーミングアップがないと歌えないようではいけない」
「喉を休めることも必要」
という説を総合的に取り入れて、発声練習は隔日にしてみたのだけど、どうもこれは私には合わない気がする。
喉のウォーミングアップというより、ピッチ感の調整に必要な気がする(発声をやらずにすぐ歌にとりかかると、なんかしっくりこない)。
レッスンの時にもなんだか「練習不足である」という後ろめたさから、歌っていて不安になる、先生には見抜かれる気がするし・・・やはり発声練習は毎日のメニューに戻そうと思った。

Concone#30
これはどうしても、苦手な部分の苦手感が払拭できない。
しらーれらふぁらーれらふぁみーらみられ
実は移動ドで読めば
らそーどそみそー どそみれーそれそど
と、全く難しくないんだけどな・・・。
やはり、この感覚も捨て去らない方が良さそうだ。
それでもなんとか、この曲はクリアということになった。
自分としても、今はこれ以上続けてもどうにもならない気がする。

Tu lo sai
先週、歌詞の読み方を教えてもらったところ。
saiのiのタイミングを気をつけるように、と言われていたが、先生の模範を聞いてみると、自分のタイミングとそれほど違っていなかった。最後の方は少し要修正だったけれど。
でも、これは私の苦手な臨時記号が多い曲でもあって、音程があちこちおかしいらしく、それを次回修正ということで持ち越し。
ややこしいメリスマのところ、意識するほど上手くいかないので困る・・・これも安定感が足りない。練習のテンポが速すぎるのも一因かもしれない。
Concone#30もだけど、苦手箇所に突入する前、目を瞑って運任せみたいな感覚になってしまうんだよなぁ・・・。

自宅練習のスケジュールは試行錯誤中。

ロビン・フッドの愉快な冒険

ロビン・フッドは名前だけ、それ以外にほとんど何も知らず、なんならウィリアム・テルと混同していた。
ということは、弓の名人というイメージは何となくあったのかも・・・?

なので、この本が「ロビン・フッドの原作」なのか、「伝説を物語にした本」なのか・・・ということも分からないまま読みはじめたが、この疑問については、後ろについている解説によって、後者が正しいことは分かった。

かなり梁山泊っぽい感じがあるのは興味深い。
中世の話である割に、(騎士道と同時に)意外と現代的な倫理観が通用しているのも面白い。義賊ロビン・フッドは、人殺しをしない。不正な金持ちから奪い、正直な庶民には優しい。それで100人以上の人間をゆうに養っているというのは、不正な金持ちがどんだけ多かったんだろう。食糧は鹿の密猟でほぼ賄えてたんだろうか。読んでると、鹿肉とエールがすごく美味しそうに感じる。私はお酒は飲まないからエールには惹かれないが、「炙った鹿肉」は食べてみたい・・・。
それと、何度も腕比べの場面が出てくるけど、ロビンは無敵じゃなくけっこう負けてるし、一人の敵に対して仲間の援軍を呼んで助けられたりしてて、それも良いな。まぁ弓に関しては無敵だけれど。

繰り返し、「陽気な」という形容詞が使われ、男たちは大笑いするのだけど、自国のノスタルジーの中にそういうイメージがあるのって良いなあ。実際にはみんなそんなに楽しく愉快に暮らしてたわけではなく、後世に作られたイメージだろう。ということは、我が国だってそういったイメージを民族的に「今後」抱くことだってできるんじゃないかな、過去の時代を魅力的に描き出す、スケールの大きな不世出の国民文学者が出てきたりすれば!

vol.35

今日の発声練習には、かなり時間がかかった。
パターンが多かったからだけど、なぜそんなにいろいろやったのかは分からない。
何かおかしかったのかもしれない。

Concone#30は、前回の続き。
苦手なフレーズが、うまくいったりいかなかったり…。
シラーレラファラーレラファミーラミラレ
うまくいかないときは、ラファミーラミラレに着地できない、その前にイメージを見失っている。
ここが不安定だから、ということで、また来週に持ち越し。

Tu lo saiも、リズムのややこしいところで、うまくいったりいかなかったりだったけど、これは一応、前進して、歌詞を読むところまで。
すこし時間があったから、先生がお手本を歌ってくれた。

次回も同じ組み合わせなので、スケジュールにすこし余裕が出来るな。

氷のなかの処女

カドフェルシリーズ6作目。

なぜか最初とっつきにくく、読み進められなかったが、物語が動き始めてからはいつもどおり、一気に読了。
タイトルになっている被害者が、とばっちりだし注目されることもなくてかわいそうな…。
また、突発的に行動して周囲に大迷惑をかけ続ける姉弟と修道士にイライラ。

シリーズの最後にカドフェルの息子が登場するのは知ってたけど、すでにこの話で初登場してたのか。
我が子の存在も知らないなんて、父親とは気楽なもんだ。
悪党サイドでなくてよかったね。

行き倒れの修道士は無能だったけど、殺人犯ではなくてよかった…
私はてっきり、彼が手を出したか出そうとしてシスターが返り討ちにし、さらに身投げしたのでは、と思ったけど、そんな話でもなく、どうでもいい男が衝動的にやったことだった…まぁ実際そんなもんだろうけど。そして確かに、そんな状況なら修道士がそばにいれば起こらなかった悲劇だったろうなぁ。

しかし、そこらじゅうで野盗の組織的な襲撃が繰り返され、まともな護衛もなければ旅人は追い剥ぎに遭う、治安が悪すぎる。内乱が起こるとこうなるんかな。

雪と毒杯

予約していた「死を呼ぶ婚礼」を受け取りに行ったついでに、同じ作者のミステリが開架にあったのを借りてきた。
これは、探偵がいるわけではなく、とりあえず一人称視点になる2人は犯人から除外して、推理をしていくことになる感じ。
私はあまりミステリをよく読むわけでもないので、素直に作者に導かれるまま、気持ちよく怪しんだり驚いたりした。

そういう謎解きの過程は面白かったけれど、犠牲になったリチャードは気の毒すぎる。
なんとか慰めを見出そうとするなら、それほどまでに魂を分けた故人とすぐに再会できたのは幸せだったかも・・・。
そのアントニアさんには、物語のあいだじゅう、

「あなたの当てつけのような遺言のせいで、リチャードが可哀想なことになったじゃないか」

と思ってたけど、そうじゃなかったのは良かった。
それ以前に、これが作り話で良かった。

こういう娯楽作品で人生を考えるのもどうかと思うが、周囲をさんざんに振り回しながらも、ちゃんと愛し愛されて人生を終われるってのは素敵なものなのだろう、と思う。私がこれから先のどの時点で死ぬにしても、わざわざ私の死に目に会いたがる人もいないに違いないし、私としても、そばにいて欲しい人は思い当たらない。「人に囲まれて死ぬ」という未来は、事故死など往来でなければ、私にはあるまい。わかりやすく誰かを助けて死ぬ、というのが最も幸福な死に方に見えるが、それはそれで、助けられる側の荷が重いしね。そんなことは起こらないにこしたことはない。

主要登場人物の中では、トレヴァーが最初から最後まで影が薄くて、こんなに薄いやつは犯人ではなかろう、と思ってしまったし、ヒステリックなオカンも全然怪しくなくて、もう少し疑わしい要素が欲しかったな。
あと、その場で「遺言状を見せろ」て言われたらどうするつもりだったのかな・・・

死を呼ぶ婚礼

カドフェルシリーズの5作目、かな?

これも面白かった!
修道院だから結婚式を挙げるし、施療院にも関わり、カドフェルは薬草に詳しい、そして十字軍の兵士だった過去。舞台設定がすみずみまでよく活きてる。
最後の対話は、おおっ・・・そこで登場するんかい!!
もうねカドフェルの「閣下」って呼びかけで、私も背筋の伸びる心地がしたよ。
たしかに最初から行動は怪しかったし、なんらかの関わりは示唆してたけど、卑劣なことはしそうもない男。
でも、正体がわかってから思い返してみると、彼はどの時点で「やろう」と思ったんだろうか。

彼がかっこよくて、第一の小悪党が霞んでしまったよね。
というか、小悪党の方は動機もあんまりよくわからないし。
でも第二の方は、結局どういう始末になるんだろう。
それも小悪党のしわざってことにされるんかなぁ?
まぁ、第一の方だけで、縛首なのかな。
広大な領地は誰のものになるんだろ・・・?

今回は、ロマンスがメインで、おまけエピソードではなかったな。
施療院にいた子、また無事に登場して欲しいけど、どうかな〜。
あと、やたらと存在感のある新修道女、あとがきや解説を見る感じ、今後も登場してくるらしい。頼りになりそうだし、面白そう。

また、次回作が楽しみだ。

修道士カドフェル

Twitterも先行き不透明になってきたようだし、読書感想文こっちにも書こう。

Kindle unlimited で、もう返却してしまったのでタイトルを思い出せないが、「世界中の言語について、言語学者が(よく知らなくても)適当に語る本」みたいな書物の、たぶんウェールズ語のところで紹介されていた、「修道士カドフェル」シリーズ。
とりあえず、1作めから読んでみようと思い、図書館で借りて読んでとても気に入ったので、以後毎週1冊ずつ図書館で予約して、いま4作目まで読んだ。もちろん今後も楽しむつもり。なんて有り難いシステムだろう。

Wikipediaで見ると…

聖女の遺骨求む (A Morbid Taste for Bones)
死体が多すぎる (One Corpse Too Many)
修道士の頭巾 (Monk’s Hood)
聖ペテロ祭の殺人 (Saint Peter’s Fair)
死への婚礼 (The Leper of Saint Giles)
氷の中の処女 (The Virgin in the Ice)
聖域の雀 (The Sanctuary Spallow)
悪魔の見習い修道士 (The Devil’s Novice)
死者の身代金 (Dead Man’s Ransom)
憎しみの巡礼 (The Pilgrim of Hate)
秘跡 (An Excellent Mystery)
門前通りのカラス (The Raven in the Foregate)
代価はバラ一輪 (The Rose Rent)
アイトン・フォレストの隠者 (The Hermit of Eyton Forest)
ハルイン修道士の告白 (The Confession of Brother Haluin)
異端の徒弟 (The Heretic’s Apprentice)
陶工の畑 (The Potter’s Field)
デーン人の夏 (The Summer of the Danes)
聖なる泥棒 (The Holly Thief)
背教者カドフェル (Brother Cadfael’s Penance)
修道士カドフェルの出現 (A Rare Benedictine、短編集)

これでシリーズ全部かな?
4作目まで、つまり聖ペテロ祭まで読んだ。次の「死への婚礼」(違う邦訳のだけど)を予約中。

ここまでの、覚書

1.聖女の遺骨求む
修道士カドフェルが、公務で随行していった先の故郷ウェールズでたまたま遭遇した殺人事件に、突然探偵っぽい本格的考察を始めだすのがちょっと驚きだった。
カドフェルは読者から見れば初登場だけど、すでに中年で修道士生活も長い。彼にしてみれば突然探偵っぽいムーブを始めたわけではなく、以前からこんな感じで殺人事件に遭遇しては解決してたんだろうな~。この1作め以後も、毎回殺人に関わっている。若い頃に十字軍兵士として戦った時代から、ずっと殺人と関わり続ける人生なんだろう、恐ろしい。
このシリーズの魅力は、きっと修道士カドフェルの穏やかで実直な人柄なんだろうな。この人がいるかぎり、「最後はハッピーエンドになるだろう」という水戸黄門的な安心感がある。敵対的なキャラもいるけど、どうにも小物っぽく、カドフェルの敵ではない。
この話は、カドフェル自身が、中世にありながら(その人生経験によって)、当時信じられていた土着の迷信を全く信じないのに対して、「現実」の方が迷信を現出する結末のスパイスは面白かった。いや、それらの「聖女の奇跡」も伝聞だから、すでに尾鰭がついているのかもしれない。

2.死体が多すぎる
たぶん史実と重なっている話なのだろうな。イギリスの歴史は全然知らんから、これはこれで勉強したい。
スティーブン王と女帝モードの王位継承をめぐっての争いを背景にした、カドフェルの修道院があるシュルーズベリの街の攻略戦。街は女帝側についていたがスティーブン王の攻撃に敗れ、捉えられた捕虜はみんな絞首刑…で、修道院がその犠牲者を弔おうとしたら、そこに無関係な他殺体がまぎれこんでいた。という話。
このシリーズの特徴は、探偵役のカドフェルが、常にその事件の当事者(少なくとも、直接巻き込まれている)ということだと思う。そして自分自身が重要な目撃者だったり、気付かぬうちに証拠品を持っていたりする。ホームズにしろコロンボにしろ、職業探偵や刑事は職業上、自分と無関係な事件に、無関係な他人として首を突っ込んでいくことになるわけだけど。
この話の場合、やはり埋葬を担当する修道院の一員として、「弔うべき遺体の数が合わない」と気づく立場にあった。
紛れ込ませた犯人の方は、ひとりくらい増えても気づかれない・気づかれたところで時節柄問題にされないと踏んだ・・・ずいぶん楽観的なやつだ。
こいつは、あろうことか自分が殺した男の身内の若い女性に、その悲しみにつけこんで交際を迫るようなことまでしている鬼畜で、最後はそれを知った恋敵との決闘で敗れて命を落とすのだが、この決闘で勝ってたらどうなってたんだ? 恋敵の方は、多すぎる死体の件とは明らかに無関係だし。
颯爽たる恋敵のせいで、最終的にカドフェルがどういう役割をしたのか、私にはすでに思い出せない。
そういえば、カドフェルはこの防衛戦の指揮者の娘を修道院に匿い、無事に脱出させるのに力を尽くし、それがこの話のメインの流れになっているのに、これは殺人事件とは全然関係ないんよね・・・人間関係としては密に繋がっているけれど。

3.修道士の頭巾
「修道士の頭巾」は、トリカブトの異名だそうだ。
カドフェルは修道院の薬草園を担当していて、これが物語の随所で重要な役割を担う、というか犯行に用いられる(第1話でもそうだった)。カドフェルがその事件の謎解きをするのは、ある意味マッチポンプのような気がしないでもない。
この話では特に、直接そのトリカブトが犠牲者の死因だ。
カドフェルのライバル側の小物が、過去のロマンスと結びつけて「カドフェルこそ怪しい」的なことを言い出したりもしているが(小物すぎてボヤにもならなかった)、彼の薬物を用いた殺人事件が周囲に多発してたら怪しまれても仕方ない(汗)
このシリーズのパターンとして、若い男女が簡単にカップルになるのがファラララ感があって面白いのだが、今回はそういう若人は登場せず、カドフェル自身の昔の恋人が出てきた。が、彼は修道士なので特に何かがあるわけでもなく、別にその設定はなくても展開に違いはなかった気もする。元恋人の子たちがカドフェルを信頼する根拠にはなっているけれど、カドフェル自身がけっこうな人たらしだからなぁ。
最初、立場的にいかにも怪しいと思った人物が、結局犯人だったけど、動機は思ったのと全然違っていた。衝動的な犯行で、同情の余地があるような流れではあったけど、犯行当時はそうだったとしても遺産狙いの裁判を起こした時点でそうは言えまい。カドフェルが偶然その裁判に居合わせなかったら、どうなってたんだろうか。

4.聖ペテロ祭殺人事件
大出健氏訳では、こういう訳になってる。いかにもミステリだけど、チープなような。
こちらは2作目と同様の歴史ミステリ(?)で、軍事機密をめぐっての攻防ということになるのか。
でも、犯人側が自分の主君への忠誠心から殺人を重ねてでもその機密を奪おうとしている、ってわけではなく、自己中な野心からというのが、善悪を単純にしている気はする。要は、ただの悪人なので、非業の最期を遂げても全く可哀想ではない。それにしても、せっかく娘をたらしこんでいたのに、そのまま色仕掛けで機密を得ようとしなかったのは解せぬ。
政治的な対立に関しては、善悪でジャッジせず、平等に描かれているのは面白いと思う。そこはやはり「修道院」という(少なくとも建前上)世俗を超えた立場がものを言っているのかもしれない。前作から院長が変わり、パワーアップしたために、副院長一味がますます小物っぽくなって、ライバル陣営として脆弱すぎて物足りない・・・いや別に、ライバルが必要なシリーズでもないけど。
ここまで読んできて、
・ウェールズ人に悪人はいない
・女性と子供に悪人はいない
みたいなパターンが見えてきた気がするけど、この先はどうなんだろう?
今回のファラララは、ヒロインの少女と、最初の容疑者の若者。
ストーリーを追ってみると、カドフェルはあまり出てこない(汗)。最初の争いの目撃者にはなってるんだけど、それも結局カムフラージュとなるエピソードなだけで、事件とは関係ないし。

次は「死への婚礼」、図書館で予約中。

vol.32

正直、この回のことはすでによく覚えていない・・・
なので、録音を聴きつつ

Concone#28
伴奏にかなりミスタッチが多くて、それと必死に戦っている感がありありと伝わってくる。
結局、自分のこの当時の練習方法が、非常に伴奏に依存していたための苦戦だと思う。

Aria di Chiesa
とにかく「リズム感がない」と散々に怒られたが、自分ではさっぱり分からず、どんどん自信を失い見失い声が消えていく過程が録音でよくわかり、悲しくなってくる。
結局最後まで聞けなかった・。
この日の練習日誌を書けなかったのも、あまりにも悲しかったせいだろう。

音名と階名

音の物理学的な正体は、波動だ。
楽器や声帯の振動が、空気中を波動(疎密波)として伝播し、耳に届く。
水中なら水を介しても伝わる(ちなみに水中の方が速く伝わる)。
が、間に何も振動を伝えるものがない真空中では、音は伝わらない。

「音の高さ」は、この振動の速度のことだ。
高速な振動は、人の脳には「高い音」として認識される。
この振動の速度を、周波数という。
周波数の単位 Hz(ヘルツ)は、1秒あたりの振動数を意味する。
たとえば、440Hzとは、1秒に440回空気が振動しているということだ。

厳密に「絶対的な音の高さ」は、周波数で表現する以外にない。
「基準のラ」と言っても、それは440Hzかもしれないし、442Hzかもしれない。
以下でいう「絶対的な音の高さ」というのは、そこまで厳密な意味ではなく、「相対的な音の高さ」に対する対立概念として理解しなければならない。

固定ドの「基準のラ」は、だいたい440Hzということになっている。
ここからドレミファソラシドを作ると、例えば平均律なら

音名 周波数
261.63 Hz
ド# 277.18 Hz
293.66 Hz
レ# 311.13 Hz
329.63 Hz
ファ 349.23 Hz
ファ 369.99 Hz
392.00 Hz
ソ# 415.30 Hz
440.00 Hz
ラ# 466.16 Hz
493.88 Hz
523.25 Hz

ということになる(Excelで計算した)。
個々の数値はどうでもいいが、「平均」はリニアな等分割ではない。
(ある音より半音高い音は、常に12√2=1.059463…倍の周波数となる。これを12回繰り返すと2倍=1オクターブとなる仕組み)

このように使われた「ドレミファソラシド」は、直接に周波数と結びついた、「絶対的な音の高さ」の名前ということになる。
これを「音名」という。

このドレミ・・・はイタリア語だそうだ。
日本語・ドイツ語・英語ではこうなる。

イタリア語 日本語 ドイツ語 英語
C(ツェー) C
D(デー) D
E(ツェー) E
ファ F(エフ) F
G(ゲー) G
A(アー) A
H(ハー)※ B

(フラット(♭)系)

イタリア語 日本語 ドイツ語 英語
ド♭ 変ハ Ces(ツェス) C
レ♭ 変二 Des(デス) D♭
ミ♭ 変ホ Es(エス) E♭
ファ♭ 変ヘ Fes(フェス) F♭
ソ♭ 変ト Ges(ゲス) G♭
ラ♭ 変イ As(アス) A♭
シ♭ 変ロ B(ベー)※ B♭

(シャープ(#)系)

イタリア語 日本語 ドイツ語 英語
ド# 嬰ハ Cis(ツィス) C#
レ# 嬰二 Dis(ディス) D#
ミ# 嬰ホ Eis(エイス) E#
ファ# 嬰ヘ Fis(フィス) F#
ソ# 嬰ト Gis(ギス) G#
ラ# 嬰イ Ais(アイス) A#
シ# 嬰ロ His(ヒス) B#

「シ」に相当するドイツ音名は変則的なので注意。
ダブルフラット(重変)やダブルシャープ(重嬰)に対するドイツ語の固有の名称もあるけど(原則、esesとかisisがつく)、カンタの先生もあまり使わないから省略。

ドイツ語音名は、調性の名前を指すときにも使うことが多い。
・dur(ドゥア)=長調
・moll(モル)=短調
という言葉をつけて、例えば
・G-dur(ゲードゥア)= G major =ト長調
・a-moll(アーモル)= a minor =イ短調
(長調は大文字、短調は小文字で書く習慣があるらしい。でも、日本語でィ短調とは書かないと思う)
「G」も「ト」も、要するにドレミの「ソ」で、ソ=392.00 Hzを主音(音階の最初の音)とする長調、ということ。

日本語の音名は、調性の名前以外にほとんど使わない気がする。
だから「変へ」とか「嬰ロ」なんて目にすることはない(そんな名前の調はないから)。

音名の話は、いったんここまで。

音名に対して、階名は「相対的な音の高さ」を指す。
(ただし、音名とごっちゃにしてる人もそれなりにいる・・・)

さっき、G-durの例を書いたけれど、同様に
「C-durは、ド=261.63 Hzを主音(音階の最初の音)とする長調」
「D-durは、レ=293.66 Hzを主音(音階の最初の音)とする長調」
「E-durは、ミ=329.63 Hzを主音(音階の最初の音)とする長調」
・・・
で、これらの長調の「主音」を、周波数に関わらず全て「ド」と呼ぶのが階名であり、移動ドだ。
(短調なら主音は「ラ」と呼ぶ)
音階とは・・・って説明するまでもないわりに正確に説明するのはけっこうめんどくさいので、そこは飛ばす。

とりあえず、その調を構成する7音が
全全半全全全半
の間隔で並ぶようになる開始位置が、その長調の主音だ。

このあたり、指揮者先生の話で説明抜きでよく出てくる言葉などについて、ちょっと書いてみる。
話を簡単にするために、ハ長調Cdurの例で見る。

ハ長調の主音は、ド=C(ツェー)。
確認するには、楽譜の最後のバス音を見る。バスがdiv.だったら、バス下の音だ。
曲の最後のバス音は、ほぼ常に、その調の主音になっている。
それは和声学のルールのうちでも、かなり厳密に守られていると思う。
ただし、和声学以前の古い曲とかではアテにならない。
(調性の概念自体が未成立だったりするらしいので、仕方がない)

実用上、一番簡単な見分け方はそうなるけれど、途中で転調したりしていたら、この手は使えない。
原則的には、調性は調号から読み取る。
根本的な規則を言えば、
#が一つ増えるたびに、主音は完全5度高くなる
♭が一つ増えるたびに、主音は完全5度低くなる
つまり、
0(C)→#1(G)→#2(D)→#3(A)→#4(E)→#5(H)→#6(Fis)→#7(Cis)
0(C)→b1(F)→b2(B)→b3(Es)→b4(As)→b5(Des)→b6(Ges)→b7(Ces)
となるけど、いちいち数えるのは大変だし間違える。
調号がつく順番は、
#「ファドソレラミシ」
♭「シミラレソドファ」
(このドレミは音名、五線譜上の位置と思うのが良い)
逆順なので、どちらかを覚えれば良い(が遡るのは面倒なので両方覚えた方が良い)。

楽譜上、視覚的に覚えるのはもっと簡単で、#の場合は最初の「ファド」だけ覚えれば、あとは交互に1音ずつ上に書いていけばよいし、♭の場合は同様に最初の「シミ」のあとは交互に1音ずつ下に書いていけば良い。
これに関しては、長調でも短調でも違いはない。同じ調号で書かれる長調と短調は平行調という。

で、その調号から
・#系の場合=最後(一番右)の#の、半音上が「ド」
・♭系の場合=最後から2番めの♭が「ド」
と読むのが一番簡単だと思う。
例えば、#が4つなら、最後の#は「ファ#ド#ソ#レ#」のレ#(Dis)、主音はその半音上のE。
♭が3つなら、「シ♭ミ♭ラ♭」の最後から2番めはミ♭(Es)だから、主音はそのEs。

ただし。

見た目の調号と違い、実際には臨時記号で処理していて別の調になっている・・・ということもあり、調号で100%見分けられるわけではない。「風紋」とかそうだったし、ことしの木下牧子も部分的に転調してるとことかけっこうあった・・・。

ともかく、「主音」が分かったとしよう。ハ長調ならCだ。
音階の中の音には、「主音」ド以外にも、特別な名前を持つ音がある。
「属音」音階中の第5音ソ
「下属音」音階中の第4音ファ
「導音」音階中の第7音シ
ただし、「導音」は主音に導く音という意味なので、次に主音が来るときにしか使わない。
つまり、長調でシ→ド、という音の並びならシは「導音」だけど、シ→レ、などと進行する場合のシは「導音」ではない。
先生が「導音は高めにとれ」というのも、「シド」と続くときのシは高くとれ、という意味だ。
これはむしろ短調の場合が重要で、短調の導音は、主音ラを導くソ#であり、この#は高めにとらないと怒られる。
逆に、ラに行かないソ#を高くとると「これは導音じゃない」と怒られる。

これらの音に名前がついているのは、音階の中での役割や性質に基づく。
「導音」はそういうことだし、「属音」ソにも、非常に強く主音に向かう性格がある。
最近、先生が「属音が正確でないと、主音が狂う」というようなことを言っているのは、そういう話だ。
G-durの主音ドはGで、属音ソはD(Gから数えて第5音)だ。

vol.31

最初は発声、
特に何も言われず、最近はこちらはメインではなくウォーミングアップな感じになりつつあるけど・・・
ちかごろ調子が良くなく、最初の頃とは別の緊張と不安がある。
ちょっと無理しているから、この練習が終わると少し声が枯れている体感。

次のConcone#27
最後のソド#レラソの上行形の音がどうやっても取れなかった。
というか、この程度に取れない音というのは私にはたくさんあるのだけど、なぜ今までスルーされてきたのだろう。
要するに、私にはその音をイメージできないからとれない。
「こういう音形が不得意だよね」
と指摘されたが、要するに私は臨時記号が苦手で、その前後が見えなくなる。
結局、自分ではどうなったのか分からないまま、なんとなくクリアになってしまったけど。

最後の歌曲、Aria di Chiesa
これは「リズム感がない」とバッサリ。

近ごろ、歌は向いてないなぁ、辞めようかな・・・と思っている。
そもそも、苦行でしかないのに、どうして続けているのかも自分でよく分からない。
歌に投資してきた4年が惜しいのかもしれない。
しかし、投資しただけの成果があったのか、これからあるのか、という点で、見通しが立たない。
投資というのは、お金ではなく、かけた時間の問題だ。
歌だけのために、私は毎日何時間を費やしているのか。
それだけ上達したと言えるのか、これから上達する見込みがあるのか。
(ないんじゃないかな?)
と思いつつある。
だったら、人生の貴重な時間リソースは、他のことに投資した方が有意義なのではないか。
投資先の選択が正しくなかったかもしれない。
うちの先生は、上級者を教えるのに特化していて、決して初心者向きではない。
(物理的な発声に関しては、初心者にも対応している。音楽の初歩的技術を教えるのには対応していない)
でも、それなら初心者向けの人に習いたいかというと、そもそも、そこまで歌いたいわけでもない。
いまの合唱団で、ずっと役立たずなのが嫌だったから、それだけだ。
習ったことで、潜在的に役に立ちうる「声量」は獲得した。
だが結局、不正確な声が声量だけ大きくなっても迷惑にしかならない。
練習すればするほど、できないことが可視化されて、音楽が苦手だという意識は強くなる。