(このサイトは、2022年8月に作成したものなので、この記事は当然それ以降に書いたものです。)
—
私の人生は、音楽とはおよそ縁のないものだったと思う。
子供のころに楽器を習っていた、などということもなく
(児童合唱団を半年で辞めたことはあった、そういえば。ちなみに最初からアルト)
音楽系の部活動に所属していた、ということもなく
(本来の水泳部の休眠期に小学校を転校した結果、1学期だけ吹奏楽部に入れられたことはあった、そういえば。ちなみにトロンボーン、鳴らせないままだった)
もちろん高校での芸術科目は、音楽選択ではなかった。
上のカッコ書き部分を思い出してみると、音楽を嫌いになるきっかけの方が多かったな。
それでも後に合唱を始めることにつながったのは、高校の合唱祭で、これは必ずアカペラという伝統だった。
私のアカペラへのこだわりは、青春へのノスタルジーかもしれない。
とりわけ3年次の卒業記念有志合唱への参加が、夏の陽光のように眩しい印象を残している。歌ったのは、多田武彦の無伴奏混声合唱組曲「海鳴りを聞く」。
その後は、ほぼ音楽とは関係もなく、数十年をすごしてきた。
合唱とくにアカペラへの愛着はどこかに残っていて、たまに思い出して聴くことはあったし、演奏会に声をかけてくれる人は多かった。とりわけドイツ留学中、聖歌隊の友人に誘われて行った大聖堂での演奏は思い出深い。正直、ほとんどの曲を知らないので演奏自体は覚えてないが、歴史ありげな大聖堂の響きは、どこも荘厳で格別に思えた。
自分でも歌いたい、と思うようになったきっかけは、いつのころからか好きになっていたKing’s Singersだった。
あんなふうに歌ってみたい。
でも、どんなふうにも歌ってみたことがない人間である。
まず、コンセプト的には「うたごえ喫茶」のような、ゆるい合唱サークルに入って歌ってみた。好きなときに行って好きなように歌う、毎回違う人がいる。
最初の一歩としては最高だった。もちろん、それでKing’s Singersにはなれない。
なので、次に「アカペラ」「少人数」なところを探して、入団したのが今の合唱団だ。
パートはテナー。
が、団の人数バランス的にやむなくテナーなので、基本的に戦力外(div.要員)だった。
技術的に厳しく指導される団なのに、初心者の私は何も言われることがないまま3年が過ぎたところで
これでは、私は永遠に役立たずのままではないか。
せめて、努力するべき方向性は知っておきたい。
自分の課題だけでも教えてほしい。
と、厳しい指揮者の先生(本業はテノールの声楽家)に聞いてみたら、
「声量。・・・でも、それを求めるのも無理だしね」
即答だった。
少し考えてみて、それは確かに、自力だけでは無理だと思った。一度は、きちんと発声を習うべきだろう。しかし、私にテナーを教えてくれるところを探すのは厄介だ。
・・・この指揮者の先生に習うのが一番に違いなかった。
正直、ちょっと意趣返しの気持ちもなくはなかった。最初から役に立たないと決めつけて、何も教えてくれないが、私だって鍛えれば今よりはマシなのだ、それを証明したい。
不穏な思惑を含みつつ、「自分のパートに必要な音域の、合唱の発声を学びたい」と申し入れたのが2021年末。
実際にレッスンを始めたのが、2022年1月だった。