科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで (ブルーバックス)

この本を選んだ理由は、なぜかKindle unlimitedのおすすめに出てきたのだと思うけど、著者の三田一郎先生は学部時代の恩師だから。
恩師といっても、講義を受けたことがあるだけで、個人的に言葉を交わしたことはない。
素粒子論の先生で、受けた講義がなんだったかすら覚えていないんだけど、「すごい先生」だという評判は当時から聞いていた。
アメリカ帰りで、お名前は I.A.Sanda とあり、「A」が何の頭文字なのかというのは、先生と直接関わることのない学生にとっての謎だった。
講義での印象では、本場の物理学者っぽい感じ、そしてフランクなお人柄だったようには記憶している。

しかしあの先生が、こうしたテーマでブルーバックスの本を書かれるというのは、けっこう意外だった。
これが真面目な素粒子論の本だったら、Kindle unlimetedとはいえ、手に取ったかなあ?
内容は、まさにタイトルの通り。
物理学史を追いながら、神様との関係を紹介していく。
かなり面白かった。

ただ、結局よく分からなかったのは、彼が信じている「物理法則をつくった創造主」が、なぜキリスト教の神でなくてはならないのか?ということだった。
そのような存在は、人間を特別扱いするようなものではないはずだ。
でも彼はクリスチャンであるらしい。
そこのつながりは、全然分からないままだった・・・。

あの日、松の廊下で

忠臣蔵、赤穂浪士討ち入りの原因となった松の廊下での刃傷沙汰に至る過程を克明に描いた・・・フィクション。
すごく面白かった。
フィクションではあるけれど、実際ものごとはこんな感じに、双方に背景があるものだろう、その意味でリアリティが高い。
いちばんリアリティが薄いのは、主人公たる与惣兵衛さんの聖人のごときキャラクターかもしれない。

もっとも、初めは双方が悪くないという気持ちで読めていたけれど、だんだん浅野内匠頭が気の毒すぎるし、お怒りごもっとも。吉良上野介は刺されてもしゃあないだろ…と私は傾いてしまった。とはいえ、殿中での刃傷沙汰に至る直接の動機はなんだか弱い気がした。もっと別に、刺されててもおかしくなかった場面はいくらもあったけれど。

昼行燈の大石は最後にちらっと出てきて、さすが昼行燈と納得した。役立たずやな・・・

ともかく、エンタメとしてとても楽しめる本だった。

ロビン・フッドの愉快な冒険

ロビン・フッドは名前だけ、それ以外にほとんど何も知らず、なんならウィリアム・テルと混同していた。
ということは、弓の名人というイメージは何となくあったのかも・・・?

なので、この本が「ロビン・フッドの原作」なのか、「伝説を物語にした本」なのか・・・ということも分からないまま読みはじめたが、この疑問については、後ろについている解説によって、後者が正しいことは分かった。

かなり梁山泊っぽい感じがあるのは興味深い。
中世の話である割に、(騎士道と同時に)意外と現代的な倫理観が通用しているのも面白い。義賊ロビン・フッドは、人殺しをしない。不正な金持ちから奪い、正直な庶民には優しい。それで100人以上の人間をゆうに養っているというのは、不正な金持ちがどんだけ多かったんだろう。食糧は鹿の密猟でほぼ賄えてたんだろうか。読んでると、鹿肉とエールがすごく美味しそうに感じる。私はお酒は飲まないからエールには惹かれないが、「炙った鹿肉」は食べてみたい・・・。
それと、何度も腕比べの場面が出てくるけど、ロビンは無敵じゃなくけっこう負けてるし、一人の敵に対して仲間の援軍を呼んで助けられたりしてて、それも良いな。まぁ弓に関しては無敵だけれど。

繰り返し、「陽気な」という形容詞が使われ、男たちは大笑いするのだけど、自国のノスタルジーの中にそういうイメージがあるのって良いなあ。実際にはみんなそんなに楽しく愉快に暮らしてたわけではなく、後世に作られたイメージだろう。ということは、我が国だってそういったイメージを民族的に「今後」抱くことだってできるんじゃないかな、過去の時代を魅力的に描き出す、スケールの大きな不世出の国民文学者が出てきたりすれば!

氷のなかの処女

カドフェルシリーズ6作目。

なぜか最初とっつきにくく、読み進められなかったが、物語が動き始めてからはいつもどおり、一気に読了。
タイトルになっている被害者が、とばっちりだし注目されることもなくてかわいそうな…。
また、突発的に行動して周囲に大迷惑をかけ続ける姉弟と修道士にイライラ。

シリーズの最後にカドフェルの息子が登場するのは知ってたけど、すでにこの話で初登場してたのか。
我が子の存在も知らないなんて、父親とは気楽なもんだ。
悪党サイドでなくてよかったね。

行き倒れの修道士は無能だったけど、殺人犯ではなくてよかった…
私はてっきり、彼が手を出したか出そうとしてシスターが返り討ちにし、さらに身投げしたのでは、と思ったけど、そんな話でもなく、どうでもいい男が衝動的にやったことだった…まぁ実際そんなもんだろうけど。そして確かに、そんな状況なら修道士がそばにいれば起こらなかった悲劇だったろうなぁ。

しかし、そこらじゅうで野盗の組織的な襲撃が繰り返され、まともな護衛もなければ旅人は追い剥ぎに遭う、治安が悪すぎる。内乱が起こるとこうなるんかな。

雪と毒杯

予約していた「死を呼ぶ婚礼」を受け取りに行ったついでに、同じ作者のミステリが開架にあったのを借りてきた。
これは、探偵がいるわけではなく、とりあえず一人称視点になる2人は犯人から除外して、推理をしていくことになる感じ。
私はあまりミステリをよく読むわけでもないので、素直に作者に導かれるまま、気持ちよく怪しんだり驚いたりした。

そういう謎解きの過程は面白かったけれど、犠牲になったリチャードは気の毒すぎる。
なんとか慰めを見出そうとするなら、それほどまでに魂を分けた故人とすぐに再会できたのは幸せだったかも・・・。
そのアントニアさんには、物語のあいだじゅう、

「あなたの当てつけのような遺言のせいで、リチャードが可哀想なことになったじゃないか」

と思ってたけど、そうじゃなかったのは良かった。
それ以前に、これが作り話で良かった。

こういう娯楽作品で人生を考えるのもどうかと思うが、周囲をさんざんに振り回しながらも、ちゃんと愛し愛されて人生を終われるってのは素敵なものなのだろう、と思う。私がこれから先のどの時点で死ぬにしても、わざわざ私の死に目に会いたがる人もいないに違いないし、私としても、そばにいて欲しい人は思い当たらない。「人に囲まれて死ぬ」という未来は、事故死など往来でなければ、私にはあるまい。わかりやすく誰かを助けて死ぬ、というのが最も幸福な死に方に見えるが、それはそれで、助けられる側の荷が重いしね。そんなことは起こらないにこしたことはない。

主要登場人物の中では、トレヴァーが最初から最後まで影が薄くて、こんなに薄いやつは犯人ではなかろう、と思ってしまったし、ヒステリックなオカンも全然怪しくなくて、もう少し疑わしい要素が欲しかったな。
あと、その場で「遺言状を見せろ」て言われたらどうするつもりだったのかな・・・

死を呼ぶ婚礼

カドフェルシリーズの5作目、かな?

これも面白かった!
修道院だから結婚式を挙げるし、施療院にも関わり、カドフェルは薬草に詳しい、そして十字軍の兵士だった過去。舞台設定がすみずみまでよく活きてる。
最後の対話は、おおっ・・・そこで登場するんかい!!
もうねカドフェルの「閣下」って呼びかけで、私も背筋の伸びる心地がしたよ。
たしかに最初から行動は怪しかったし、なんらかの関わりは示唆してたけど、卑劣なことはしそうもない男。
でも、正体がわかってから思い返してみると、彼はどの時点で「やろう」と思ったんだろうか。

彼がかっこよくて、第一の小悪党が霞んでしまったよね。
というか、小悪党の方は動機もあんまりよくわからないし。
でも第二の方は、結局どういう始末になるんだろう。
それも小悪党のしわざってことにされるんかなぁ?
まぁ、第一の方だけで、縛首なのかな。
広大な領地は誰のものになるんだろ・・・?

今回は、ロマンスがメインで、おまけエピソードではなかったな。
施療院にいた子、また無事に登場して欲しいけど、どうかな〜。
あと、やたらと存在感のある新修道女、あとがきや解説を見る感じ、今後も登場してくるらしい。頼りになりそうだし、面白そう。

また、次回作が楽しみだ。

修道士カドフェル

Twitterも先行き不透明になってきたようだし、読書感想文こっちにも書こう。

Kindle unlimited で、もう返却してしまったのでタイトルを思い出せないが、「世界中の言語について、言語学者が(よく知らなくても)適当に語る本」みたいな書物の、たぶんウェールズ語のところで紹介されていた、「修道士カドフェル」シリーズ。
とりあえず、1作めから読んでみようと思い、図書館で借りて読んでとても気に入ったので、以後毎週1冊ずつ図書館で予約して、いま4作目まで読んだ。もちろん今後も楽しむつもり。なんて有り難いシステムだろう。

Wikipediaで見ると…

聖女の遺骨求む (A Morbid Taste for Bones)
死体が多すぎる (One Corpse Too Many)
修道士の頭巾 (Monk’s Hood)
聖ペテロ祭の殺人 (Saint Peter’s Fair)
死への婚礼 (The Leper of Saint Giles)
氷の中の処女 (The Virgin in the Ice)
聖域の雀 (The Sanctuary Spallow)
悪魔の見習い修道士 (The Devil’s Novice)
死者の身代金 (Dead Man’s Ransom)
憎しみの巡礼 (The Pilgrim of Hate)
秘跡 (An Excellent Mystery)
門前通りのカラス (The Raven in the Foregate)
代価はバラ一輪 (The Rose Rent)
アイトン・フォレストの隠者 (The Hermit of Eyton Forest)
ハルイン修道士の告白 (The Confession of Brother Haluin)
異端の徒弟 (The Heretic’s Apprentice)
陶工の畑 (The Potter’s Field)
デーン人の夏 (The Summer of the Danes)
聖なる泥棒 (The Holly Thief)
背教者カドフェル (Brother Cadfael’s Penance)
修道士カドフェルの出現 (A Rare Benedictine、短編集)

これでシリーズ全部かな?
4作目まで、つまり聖ペテロ祭まで読んだ。次の「死への婚礼」(違う邦訳のだけど)を予約中。

ここまでの、覚書

1.聖女の遺骨求む
修道士カドフェルが、公務で随行していった先の故郷ウェールズでたまたま遭遇した殺人事件に、突然探偵っぽい本格的考察を始めだすのがちょっと驚きだった。
カドフェルは読者から見れば初登場だけど、すでに中年で修道士生活も長い。彼にしてみれば突然探偵っぽいムーブを始めたわけではなく、以前からこんな感じで殺人事件に遭遇しては解決してたんだろうな~。この1作め以後も、毎回殺人に関わっている。若い頃に十字軍兵士として戦った時代から、ずっと殺人と関わり続ける人生なんだろう、恐ろしい。
このシリーズの魅力は、きっと修道士カドフェルの穏やかで実直な人柄なんだろうな。この人がいるかぎり、「最後はハッピーエンドになるだろう」という水戸黄門的な安心感がある。敵対的なキャラもいるけど、どうにも小物っぽく、カドフェルの敵ではない。
この話は、カドフェル自身が、中世にありながら(その人生経験によって)、当時信じられていた土着の迷信を全く信じないのに対して、「現実」の方が迷信を現出する結末のスパイスは面白かった。いや、それらの「聖女の奇跡」も伝聞だから、すでに尾鰭がついているのかもしれない。

2.死体が多すぎる
たぶん史実と重なっている話なのだろうな。イギリスの歴史は全然知らんから、これはこれで勉強したい。
スティーブン王と女帝モードの王位継承をめぐっての争いを背景にした、カドフェルの修道院があるシュルーズベリの街の攻略戦。街は女帝側についていたがスティーブン王の攻撃に敗れ、捉えられた捕虜はみんな絞首刑…で、修道院がその犠牲者を弔おうとしたら、そこに無関係な他殺体がまぎれこんでいた。という話。
このシリーズの特徴は、探偵役のカドフェルが、常にその事件の当事者(少なくとも、直接巻き込まれている)ということだと思う。そして自分自身が重要な目撃者だったり、気付かぬうちに証拠品を持っていたりする。ホームズにしろコロンボにしろ、職業探偵や刑事は職業上、自分と無関係な事件に、無関係な他人として首を突っ込んでいくことになるわけだけど。
この話の場合、やはり埋葬を担当する修道院の一員として、「弔うべき遺体の数が合わない」と気づく立場にあった。
紛れ込ませた犯人の方は、ひとりくらい増えても気づかれない・気づかれたところで時節柄問題にされないと踏んだ・・・ずいぶん楽観的なやつだ。
こいつは、あろうことか自分が殺した男の身内の若い女性に、その悲しみにつけこんで交際を迫るようなことまでしている鬼畜で、最後はそれを知った恋敵との決闘で敗れて命を落とすのだが、この決闘で勝ってたらどうなってたんだ? 恋敵の方は、多すぎる死体の件とは明らかに無関係だし。
颯爽たる恋敵のせいで、最終的にカドフェルがどういう役割をしたのか、私にはすでに思い出せない。
そういえば、カドフェルはこの防衛戦の指揮者の娘を修道院に匿い、無事に脱出させるのに力を尽くし、それがこの話のメインの流れになっているのに、これは殺人事件とは全然関係ないんよね・・・人間関係としては密に繋がっているけれど。

3.修道士の頭巾
「修道士の頭巾」は、トリカブトの異名だそうだ。
カドフェルは修道院の薬草園を担当していて、これが物語の随所で重要な役割を担う、というか犯行に用いられる(第1話でもそうだった)。カドフェルがその事件の謎解きをするのは、ある意味マッチポンプのような気がしないでもない。
この話では特に、直接そのトリカブトが犠牲者の死因だ。
カドフェルのライバル側の小物が、過去のロマンスと結びつけて「カドフェルこそ怪しい」的なことを言い出したりもしているが(小物すぎてボヤにもならなかった)、彼の薬物を用いた殺人事件が周囲に多発してたら怪しまれても仕方ない(汗)
このシリーズのパターンとして、若い男女が簡単にカップルになるのがファラララ感があって面白いのだが、今回はそういう若人は登場せず、カドフェル自身の昔の恋人が出てきた。が、彼は修道士なので特に何かがあるわけでもなく、別にその設定はなくても展開に違いはなかった気もする。元恋人の子たちがカドフェルを信頼する根拠にはなっているけれど、カドフェル自身がけっこうな人たらしだからなぁ。
最初、立場的にいかにも怪しいと思った人物が、結局犯人だったけど、動機は思ったのと全然違っていた。衝動的な犯行で、同情の余地があるような流れではあったけど、犯行当時はそうだったとしても遺産狙いの裁判を起こした時点でそうは言えまい。カドフェルが偶然その裁判に居合わせなかったら、どうなってたんだろうか。

4.聖ペテロ祭殺人事件
大出健氏訳では、こういう訳になってる。いかにもミステリだけど、チープなような。
こちらは2作目と同様の歴史ミステリ(?)で、軍事機密をめぐっての攻防ということになるのか。
でも、犯人側が自分の主君への忠誠心から殺人を重ねてでもその機密を奪おうとしている、ってわけではなく、自己中な野心からというのが、善悪を単純にしている気はする。要は、ただの悪人なので、非業の最期を遂げても全く可哀想ではない。それにしても、せっかく娘をたらしこんでいたのに、そのまま色仕掛けで機密を得ようとしなかったのは解せぬ。
政治的な対立に関しては、善悪でジャッジせず、平等に描かれているのは面白いと思う。そこはやはり「修道院」という(少なくとも建前上)世俗を超えた立場がものを言っているのかもしれない。前作から院長が変わり、パワーアップしたために、副院長一味がますます小物っぽくなって、ライバル陣営として脆弱すぎて物足りない・・・いや別に、ライバルが必要なシリーズでもないけど。
ここまで読んできて、
・ウェールズ人に悪人はいない
・女性と子供に悪人はいない
みたいなパターンが見えてきた気がするけど、この先はどうなんだろう?
今回のファラララは、ヒロインの少女と、最初の容疑者の若者。
ストーリーを追ってみると、カドフェルはあまり出てこない(汗)。最初の争いの目撃者にはなってるんだけど、それも結局カムフラージュとなるエピソードなだけで、事件とは関係ないし。

次は「死への婚礼」、図書館で予約中。

レ・ミゼラブル

ヴィクトル・ユーゴー著、豊島与志雄訳

Kindleで読み始めたんだけども、8月から少しずつ読み進めてやっと読了。
それも、8割がた読み飛ばしながら・・・
いやもう、物語に関係ないところでのユーゴーの長口舌がウザすぎる。
そして、物語はというと、パリには警官がジャヴェルしかおらんのか?と言いたくなるくらい、どんな偶然にも必ずジャヴェルが絡んでくるし、テナルディエ一家も何かと「偶然」関わってくるし、ご都合主義の極み。後半にやたらと強調されるマリユスとコゼットの愛も、お互いに「顔が良い」以外に何の魅力も描かれないので、まったく共感できない。
トータルで、全然よいとは思わなかった。

哀れなジャン・ヴァルジャンは、好きだけどね。
でも彼が多くの死線を乗り越えてくることができたのは、彼の崇高な道徳の力よりは、「起重機のジャン」たる人並外れた身体能力によるところが遥かに多かったのであって、それがなければただの徒刑囚として死んでただろう・・・げにも、先立つものは身体の健康である。いや、それがなければ最初から脱獄など企てず、正規の刑期満了でさっさと社会に戻れてたのだろうか? その場合はミリエル司教にも出会わず、聖人にもならず物語にならなかったか。
死ぬ前に、マリユスの誤解が解けたのは良かったのかな・・・別にマリユスに誤解されてても、どうでもよかった気がする。コゼットに誤解されてて、それが解けたのなら劇的だけど。まぁマリユスの誤解が解けたおかげで臨終に間に合ったのは良かった。しかし、私はでしゃばりなユーゴーが嫌いで、その化身たるマリユス(しかも絶世のイケメン設定だし。自分をモデルにしてそんな設定にするとはあつかましいなユーゴー)も嫌いなので、絶対的ヒーローたるジャンの命運を、この青二才が握っている構図は気に入らなかったな。

それと酷吏ジャヴェルも好きだった。
Das Leben der AnderenのStasiに似てる気がする。でも、Stasiは死ななかった。ジャヴェルにも死なないでほしかったなぁ。
彼には、現代人も考えさせられるべきことがあると思う。当時に比べれば、現代の法律はましになっているには違いないが、もちろん「絶対に欠陥がない」ものではありえない。法はあくまで法であって、善悪の物差しではない。人間は「自分で考える」ということを放棄してはならないのだ。

チベット旅行記

明治時代に僧侶の河口慧海さんが、仏典を求めてチベットに密入国し、さらに密出国して帰国するまでの旅行記。

冒頭は、インドからヒマラヤを越えてチベットに至るまでの冒険譚になっていて、すごく面白い。
無事にチベットに潜入してからは、チベットの風俗や現地の庶民の生活から政治体制についてまでが記録されている。これも非常にユニークで面白い。
これぞ「リアル>>異世界転移<<物語」的な。

まさに不撓不屈、なのだが、どうも彼の倫理観は、私には理解できなかった。困惑する。
彼が厳格に、僧侶として正しいと信ずる道を貫いていた、というのは分かる。だから尊敬されたのだし、尊敬さるべき人だ。
でも・・・、

当時のチベットは鎖国しており、日本人は正規のルートでは入国することができなかった。

で、彼は密入国の道を選んだ。

俗世の法律よりも、仏法を求めるという信仰の方が優先される、というのは、分からなくもない。
しかし、そのために、彼に関わった多くのチベット人が投獄されるなどした。彼はその人々を助けるために尽力したのは確かだ(実際に救われたのかは不明)。これが予測不能な禍だったなら、仕方ない面もあろうが、彼は前例あるを知っていた。密入国した外国人に騙されて修行を助けた高僧が、その罪状で死刑にされるのを目の当たりにしたのだ。自分が同じことを起こそうとしていると、気づかなかったはずがない。

不可解なのは、彼が

崇高な目的のためでも、不正な手段を使うは言語道断、常に誠実な手段を用いねばならぬ

つまり、

「目的は手段を正当化しない」

という強い立派な信念を持ちながら、密入国の際には、

「私は中国人だ」

と偽って(宗主国の中国人は入国できたらしい)、周囲の人を騙したことをなんとも思っていないことだ。どう折り合いをつけていたのだろう。
この嘘そのものは、直接誰かを傷つけるものではない。けれど、人を騙して密入国すれば、「騙された」ために死をもって罰せられる人がいる。彼だって、自分の偉大なる目的のためには他人が死んでもかまわぬ、とは決して考えていなかった。
もっと不可解なのは、彼は自分が騙したことによって「恩人が罰せられること」には心痛したが、「関所の官吏が罰せられること」には何らの痛痒も感じず、彼らによる(もっともな)報復を不当だと思い軽蔑していた様子・・・。

その解釈のヒントらしいことは、チベットからの密出国後に、ネパールへ行こうとしたときに触れられている。身分を疑われて困難が生じた際、

「嘘でも、日本政府高官だと答えておけば問題ない、チベットに入る時に中国人だと嘘をついたのと同じではないか」

と、彼は親切な現地の人(?)に助言された。そのときの返答は

「チベットは鎖国をしていたのだから仕方がない。ネパールは文明の国なのだから」

相手を蛮族とみればその意思を無視し、文明人とみなせば尊重する。
気高い僧侶だが、当時の日本人の民族意識の範囲内の人ではあり、それは時代の制限というものだろう。

思うに、「崇高な目的」はあくまでも達成されねばならず、その手段は「できるだけ」誠実であるべきだ、ということなのだろうか。まともな手段がなければ不誠実な手段も止むを得ないということなのかな?

この本を読んでいる間、ずっと「嘘も方便」という仏教の言葉が頭を離れなかった。