レ・ミゼラブル

ヴィクトル・ユーゴー著、豊島与志雄訳

Kindleで読み始めたんだけども、8月から少しずつ読み進めてやっと読了。
それも、8割がた読み飛ばしながら・・・
いやもう、物語に関係ないところでのユーゴーの長口舌がウザすぎる。
そして、物語はというと、パリには警官がジャヴェルしかおらんのか?と言いたくなるくらい、どんな偶然にも必ずジャヴェルが絡んでくるし、テナルディエ一家も何かと「偶然」関わってくるし、ご都合主義の極み。後半にやたらと強調されるマリユスとコゼットの愛も、お互いに「顔が良い」以外に何の魅力も描かれないので、まったく共感できない。
トータルで、全然よいとは思わなかった。

哀れなジャン・ヴァルジャンは、好きだけどね。
でも彼が多くの死線を乗り越えてくることができたのは、彼の崇高な道徳の力よりは、「起重機のジャン」たる人並外れた身体能力によるところが遥かに多かったのであって、それがなければただの徒刑囚として死んでただろう・・・げにも、先立つものは身体の健康である。いや、それがなければ最初から脱獄など企てず、正規の刑期満了でさっさと社会に戻れてたのだろうか? その場合はミリエル司教にも出会わず、聖人にもならず物語にならなかったか。
死ぬ前に、マリユスの誤解が解けたのは良かったのかな・・・別にマリユスに誤解されてても、どうでもよかった気がする。コゼットに誤解されてて、それが解けたのなら劇的だけど。まぁマリユスの誤解が解けたおかげで臨終に間に合ったのは良かった。しかし、私はでしゃばりなユーゴーが嫌いで、その化身たるマリユス(しかも絶世のイケメン設定だし。自分をモデルにしてそんな設定にするとはあつかましいなユーゴー)も嫌いなので、絶対的ヒーローたるジャンの命運を、この青二才が握っている構図は気に入らなかったな。

それと酷吏ジャヴェルも好きだった。
Das Leben der AnderenのStasiに似てる気がする。でも、Stasiは死ななかった。ジャヴェルにも死なないでほしかったなぁ。
彼には、現代人も考えさせられるべきことがあると思う。当時に比べれば、現代の法律はましになっているには違いないが、もちろん「絶対に欠陥がない」ものではありえない。法はあくまで法であって、善悪の物差しではない。人間は「自分で考える」ということを放棄してはならないのだ。

vol.22

先生が食道炎で歌えない・・・という状況だった。
合唱団が期の区切りのお疲れ様休みだったのは、不幸中の幸いか。

最初の発声練習、先生が歌えないから、ダメ出しもできないだろう・・・これで合ってるのかな?と、不安の中で歌うのは、意外に難儀だった。いかに普段、ジャッジに寄りかかってるかって実感したのだった。
最後はCまで鳴らして
「ここまで引っかかるようになってきたね!」
そうか、今までもCまで行くことはあったけど、それはまだ使える声ではなかったんだろうな。
「だいぶ声が変わってきた」
お〜。
歌えないからって、リップサービスでは無いよね??

Concone#20は、難しいと事前に言われてた割に、音名で1回通して
「特に問題ないね」
2回目で
「だいぶ音感も良くなってきましたね」
と本当に何も修正を受けることなく、ついで、ラララで1回通して終わってしまった。
ラララの方は、ちょっとピッチが不正確だったと思うんだけども・・・

歌曲 Vittoria Mio Core! は、前回途中まで歌詞の読みを教えてもらっていたので、とりあえずそこまで歌って、イタリア語の歌い方の修正。
それから歌詞の続きの読みを教わって・・・とはいえ、事前に通しで練習しているし、読みはGoogle翻訳先生に習っておいたのでサクサク。
どうも、歌曲の方はやはりイタリア語の歌い方がメインで、ピッチなどはほぼ気にしていないように思われる・・・メリスマのところとか、全然コントロールできてないと思うんだけども。
そして突然「お疲れ様でした」と終わってしまって面食らったけど、たぶん次回この曲を仕上げ予定で、6曲目に入るのかなぁ?