vol.16

8月2回目。

発声練習は、特に問題なく、試しに高いCまで母音で上がって
師匠「ここまで出せればテノールと言える」

でも、物理的というか機械的に、楽器としての私はどんどん整備されていってるけど、演奏者としての私はポンコツのままだ。

今日のConcone#15は、音名唱までは良かったけどラララが歌えず。
確かに、昨日の時点でこれはダメだと思った、その感覚は正しかった。

この曲、1か月前から毎日欠かさず練習してたのだけどね。

音取りの手順として、私の場合は
1.移動ドで音を把握する
2.固定ドに読み替える
3.ラララで読み替える
それぞれのプロセスには、同じくらいの時間がかかる。
今回の場合、2.にものすごく時間がかかり、3.に割く時間が足りなかった。私は自分の無能をナメていた。2.に時間がかかったなら、3.にも時間をかけなければならなかった。

最後の歌曲、Lasciatemi morireでは、明らかにテンションが落ちたまま、短い曲なのでクリアになってしまった。まぁ「死なせてくれ」なんていう曲だから、テンション低くていいんだろう。

来月は第3、第4週なので、3週間しか開かない。今度は時間配分を間違えないように気をつけよう。

チベット旅行記

明治時代に僧侶の河口慧海さんが、仏典を求めてチベットに密入国し、さらに密出国して帰国するまでの旅行記。

冒頭は、インドからヒマラヤを越えてチベットに至るまでの冒険譚になっていて、すごく面白い。
無事にチベットに潜入してからは、チベットの風俗や現地の庶民の生活から政治体制についてまでが記録されている。これも非常にユニークで面白い。
これぞ「リアル>>異世界転移<<物語」的な。

まさに不撓不屈、なのだが、どうも彼の倫理観は、私には理解できなかった。困惑する。
彼が厳格に、僧侶として正しいと信ずる道を貫いていた、というのは分かる。だから尊敬されたのだし、尊敬さるべき人だ。
でも・・・、

当時のチベットは鎖国しており、日本人は正規のルートでは入国することができなかった。

で、彼は密入国の道を選んだ。

俗世の法律よりも、仏法を求めるという信仰の方が優先される、というのは、分からなくもない。
しかし、そのために、彼に関わった多くのチベット人が投獄されるなどした。彼はその人々を助けるために尽力したのは確かだ(実際に救われたのかは不明)。これが予測不能な禍だったなら、仕方ない面もあろうが、彼は前例あるを知っていた。密入国した外国人に騙されて修行を助けた高僧が、その罪状で死刑にされるのを目の当たりにしたのだ。自分が同じことを起こそうとしていると、気づかなかったはずがない。

不可解なのは、彼が

崇高な目的のためでも、不正な手段を使うは言語道断、常に誠実な手段を用いねばならぬ

つまり、

「目的は手段を正当化しない」

という強い立派な信念を持ちながら、密入国の際には、

「私は中国人だ」

と偽って(宗主国の中国人は入国できたらしい)、周囲の人を騙したことをなんとも思っていないことだ。どう折り合いをつけていたのだろう。
この嘘そのものは、直接誰かを傷つけるものではない。けれど、人を騙して密入国すれば、「騙された」ために死をもって罰せられる人がいる。彼だって、自分の偉大なる目的のためには他人が死んでもかまわぬ、とは決して考えていなかった。
もっと不可解なのは、彼は自分が騙したことによって「恩人が罰せられること」には心痛したが、「関所の官吏が罰せられること」には何らの痛痒も感じず、彼らによる(もっともな)報復を不当だと思い軽蔑していた様子・・・。

その解釈のヒントらしいことは、チベットからの密出国後に、ネパールへ行こうとしたときに触れられている。身分を疑われて困難が生じた際、

「嘘でも、日本政府高官だと答えておけば問題ない、チベットに入る時に中国人だと嘘をついたのと同じではないか」

と、彼は親切な現地の人(?)に助言された。そのときの返答は

「チベットは鎖国をしていたのだから仕方がない。ネパールは文明の国なのだから」

相手を蛮族とみればその意思を無視し、文明人とみなせば尊重する。
気高い僧侶だが、当時の日本人の民族意識の範囲内の人ではあり、それは時代の制限というものだろう。

思うに、「崇高な目的」はあくまでも達成されねばならず、その手段は「できるだけ」誠実であるべきだ、ということなのだろうか。まともな手段がなければ不誠実な手段も止むを得ないということなのかな?

この本を読んでいる間、ずっと「嘘も方便」という仏教の言葉が頭を離れなかった。

vol.15

(ここからは、リアルタイムの更新です)


また1ヵ月ぶりのレッスン、よく練習したはずだけど、直前になると不足だらけな気がして不安になるし緊張する。
発声練習は短縮バージョンで、10分くらいのセットが定着したようだ。
毎日練習している自室と、先生のレッスン室では、音響がかなり違う。自宅録音を聞いて、どんなにかダメ出しを喰らうだろう、と覚悟していたが、レッスン室では、自分でも悪くないと感じた。先生も怒らなかった。
O音は現在、上下顎問題から喉の締めつけ問題に遷移している。顎は悪声を聞く側が迷惑するだけ、喉の締めつけは私の声帯の健康に直結する。なるべく開けるように心がけたら、痛くなかった。良かった。
師「O音もA音と同じポジションで」
レッスン室では体感できるが、自宅で再現できるかな。来週までの課題だ。

コンコーネは#14。
ずっと音符を一個読み間違えていたことが判明。自分で気づかないのは、音感がないので仕方がない(開き直り)。
それと、とりづらいFis音をフィと歌ったら、今回は阻止された。
師「プロでそう歌う人はいないよ」
そりゃ私はファでは読めないだけなので、プロにそんな人いるわけないです・・・。

少し、#15に触れる。その移動ド読みで議論があった。どこで転調しているか?
師匠には、調性を反映しない「似非移動ド」は無意味だ。目的のレベルが違う。

歌曲はAmarilli。
イタリア語の発音を注意された。
-to,in のところ、
「inをちゃんと言って」
不自然と思うくらいに強調してみた、録音で聴くとぞれでやっとinに聞こえる。先生のは普通に歌っているようで、すごく明瞭だ。
で、意外とあっさり終われた。苦手な曲、過ぎ去って嬉しい。

まだ時間があったので、次のLasciatemi morireをまず先生が歌ってくれた。この時間は本当に贅沢だ。合唱のときは使わないビブラートも聴ける。私が初心者ゆえ、お手本も初心者用で、強弱など曲想はつかない。それでも十分素晴らしい。
それから固定ド唱に進んだ。短い曲なので3回通して、さらに歌詞の読み方を習い、次回は歌詞から…。これ、歌詞で歌うと高音が非常に辛い。みぃぃぃぃ~!だからな…。

コンコーネ#15もLasciatemiも、1週間では準備できないのを見越しての来週用の準備だったのに、これでは来週は準備不足の曲に入ってしまう。如何せん…?