vol.14

(このサイトは、2022年8月に作成したものなので、この記事はそれ以降に書いたものです)


というただし書きも今回まで。
現時点で、この回が直近の練習日だ。
なので直接の記憶で言うのだが、とにかく声が出なくて集中できなかった。

近ごろ喉が不穏で、昼休みの練習で発声練習までは大丈夫でも、コンコーネ・歌曲と進むにつれて声が枯れてくることが多い。大丈夫なこともある。まずいと感じたならそこで引き返す勇気・・・というより判断力が私には備わっていないので、とにかくノルマはこなさずには済まない。でレッスンで声が出なくて貴重な時間を棒に振る、先月の再現だ。

発声練習では、O音で「喉を絞めている」と注意された。体感としてもその通りで、これが最近の不調の元凶かもしれない。声帯のコントロールがまだ分からない。

コンコーネは#13。
集中力を欠いているため、固定ドをしょっちゅう読み間違えて止められるから、そこでの時間ロスが甚だしい。私の固定ドのミスは、単に追いきれない場合はでたらめになるが、集中力の問題の場合は移動ドに置き換わる。#13はお気に入りの曲だったのに、低いEsが出ず動揺、全く不本意なまま「合格」判定は出て次回は#14だ。録音では普通にEsは聞こえている。自分の体感はかくも当てにならぬものかな。
でも最後のヴォーカリーズでは、明確に聞き取れるほど声がかすれてきた。

歌曲は前回に続きのAmarilli。歌詞で歌うのは初めてだが、もう最初から声が出ていないので、一回通した時点で
「飲むものがあったら飲め」
と先生に言われた。ふだんドリンクなどを持ち歩かないが、今回はたまたま「富士の天然水」か何か、頂き物の妙に高価な水を凍らせて持ってたので摂取。暑い日だったのだろう。それで一時的に回復したので
(水分を摂ると声のかすれは修復されるのか、知らなかったなぁ)
と今さらなことに感心していたが、やはり効果は一時的でしかなく、歌い初めに飲んで曲尾にはすでにガラガラ声になる。
曲自体は、イタリア語のフレーズのつなぎ方とか、わりと歌詞に特化した注意をいくつか受けただけだったが、とにかく声が終わっているので、深入りすることもできないという状態だったのだろう。
私 「コンコーネは何度練習しても大丈夫なんですが、歌詞のある曲は、数回歌うと声がすぐ枯れます」
先生「それは声帯がまだ追いついてないんだ、慣らしていくしかないね」
ということで、やはり「引き返す勇気」などより「我慢して乗り越える根性」がこの場合、有効なのだろう。
歌詞のある曲を音とり段階でも適当に歌うと喉に良くない、しっかり発声練習と同じ発声で歌わないとだめだ。

結局、「次回までに慣れてね」ということで、来月も引き続きAmarilli。まともに声が出せないことには永久に終わらないだろう・・・。この曲は好きではないので、早く終わりにしたい(笑)

vol.13

(このサイトは、2022年8月に作成したものなので、この記事はそれ以降に書いたものです)


発声練習は、イタリア歌曲の時間を確保するためか、短縮バージョンになった。
下顎は言われなくなったし、
「だいぶ音域が広がってきたね」
「そのまま歌っていれば響きがついてくる」
と希望のあることも言われた。嬉しい。
やはり、まだO音の発声は決まらないが…。この時期は、すごく喉に負担のかかる発声をしていた。喉の不調が続いていたのは千本ノックのせいばかりではない。
この日は大丈夫だったみたいだけど。

コンコーネは#12
途中のミのナチュラルで、
「こういう臨時記号は高めにとるように」
と注意を受けた。実は、自分の中では調号♭のままEsだった。それが若干高めだったので、低いEに聞こえたのかもしれない。
この曲には、タイミングよく、このあとのAmarilliの練習にもなるようなリズムが入っていた。
だいぶリズムが良くなったね、と言われたのは良い予兆だ。

歌曲はAmarilliの続き
前回、リズムとテンポで散々だったので、先に進めるものか大変不安だった。
こういう場合の非常手段は、「手でリズムを刻む」。算数のできない子は指で数えるのだ。音楽のできない子は、楽譜に「16分で振るところ」を範囲指定で記入しておいた。これで、16分装飾音符を8分音符や32分音符にしてしまうことはない。
それが功を奏し、今回は怒られることなく無難に通過・・・
で、次は普通に歌詞で歌わないといけないので、まず読み方を教わった。いまイタリア語を勉強してるけど、ドイツ語もそうであるように、会話での発音と歌での発音は違うだろうね。
こういう古い時代の歌曲は、言葉のアクセントの位置が強拍にくるように書かれているそうだ。Amarilliの拍節がやたら分かりづらかったのは、その言葉がわからないからだったんだろうな。

残りの時間で、先生がAmarilliを歌詞で歌ってくれた。次元が違うので私の歌う参考になる気がしない。ただ、聴衆たったひとりの贅沢すぎるリサイタルとして拝聴した。
先生曰く、教師によっては歌わない方もいるそうだ。それは理解できるなぁ、と思っていたら
「聞くためだけにくる生徒がいるから」
だそうで、その理由は理解できなかった・・・。受講料はあくまで受講料、歌を聴きたいならリサイタルに来なさい、そのためにお金を払って聞きに来てくださるお客さんに対して不公平だから・・・というのなら、わかる気がしたのだが。